私が住んでみると
私が住んでみると
私が息をして生きている限り
內面で絶えず上がってくる否定的なエネルギーと向き合う必要があります。
私が生きている限り
内面で絶えず思い浮かぶ考えと向き合わなければなりません。
私が生きている限り
内面から絶えず上がってくる欲と向き合わなければなりません。
論理的な考えをして
理性的な判断をして
合理的な考えで生きたかったです.
私が住んでみると
感性的に考えて
衝動的に仕事を片付けて
感情的に判断して暮している私を見ます。
一時の怒りを我慢できなくて
人を失ったりしました。
一時の怒りを我慢できなくて
傷つけたり痛みを与えたりしました。
私が住んでみると
生きると言うのが
傷つけたり
傷ついたりしながら
物心がつく過程だということを知りました。
一瞬の善し悪しの枠に閉じこめられて
一時は正意の名において
正意を大義名分として生きました。
"私の正意の剣を受け取れ"
私の正意刀に多くの仲間たちが
傷ついて倒れて行きました。
私が住んでみると
年を取るにつれて正義の剣が
鈍くなって巻きます。
鈍った刀で
他人に向けた正衣の刀を
私に向かって突き刺して見るが
前のようにはっきりしないのをみて
今は物心がつく私を見ます。
私が私を一番よく分かると暮したが
世の中が怖いもの知らずに住んだが
私が住んでみると
私を忘れて
今日みたいな明日を
明日同じ今日を生きて行く私を見ます。
自分勝手にしながら生きると
私は自由人だと思って生きて来たが
私が住んでみると
私の勝手に生きることがいかに難しいことか
私の心を私も知らずに生きている私を見ます。
內面で絶えず上がってくる否定的な考えと
內面で絶えず上がってくる
エゴの否定的なエネルギーを 見守ります。
私が生きてみると
私の意識に
否定的な考えを停止し
感情を完全に制御することが
簡単ではないことを認めます。
私が住んでみると
私が私の感情の主権者になって
內面の否定性を除去し、
內面の否定性を統制する
私の心の完全な統治者になるということは
不可能だということを
やっと分かりました。
私は私の感情を完全に制御することができると信じていました。
私の中にある悪い考えを完全に制御することができると
信じ生きてきました。
私の中にある否定的なエネルギーを
私の理性で管理して統制しながら
人に迷惑をかけないでうまく生きられると
そう信じてたし
そう生きました。
私が私の人生の完全な主権者だから
私が感情の完全なる主権者になることは
あまりにも当然なことでした。
私が私の人生の完全な統治者だから
内面に絶えず上がってくるエゴの否定性を
完全に除去できると信じました。
私が私の人生の完全な主権者であり統治者なので
私の心一つ私の勝手にするのは
当然のことながら可能だと
そう信じてそう生きました。
私が住んでみると
生きるということが,そんなに手強いことを
生きることがそんなに甘くないことを
私が私の人生の完全な主権者
私が私の人生の完全な統治者になるのが
簡単じゃないということを学んでるのに
あまり長い歳月がかかりませんでした。
人間のエゴから生まれる否定性を
考えることをやめても完璧に解決できると
そう信じていますか。
人間の本性から出る否定性を
考えの停止とセルフティーチングの技術的な方法で
完全に浄化することが可能だと信じますか。
人間の魂意識から出てくる否定性を
愛で包んで理解すると
完全に否定性を統制できるし
自分の感情や考えについて
完全な主権者と
完全な統治者になれると
まだお考えですか?
考え停止をはじめとするセルフティーチングの技術的な問題を通して
人間の問題をすべて解決することができません。
考え停止と否定性打ち明けことなどは
人間の本性から出る否定性を
解決のための一つの方便に過ぎません。
否定的な考えを停止し
否定的な考えを一つずつ私の体から抜き出す方法で
人間が持っている否定性が解決されて
完全な主権者となって
完全な支配者になるという考えが
どのように危険と考えであり、矛盾であることを考えてみてください。
否定性を少しずつ除去する
マイナス方式で
人間の否定正の 問題が解決されるという考えが
3次元的な事故の限界であり矛盾であるのです。
マイナス方式で
人間の悪い行動は修正されうるが
マイナス方式は胎生的な限界を持つしかありません。
すぐに個人の意志の問題に帰結してしまいます。
否定的な考えを止める技術的な方法は
怒りや怒りを静める方法では
有用な手段に使われることは出来るが
これの尺度が厳しければ厳しいほど
もう一つの頑固な刑務所に入れられることになるのです
私が生きてみると
內面の否定性をすべてなくす方法は
存在していないということです。
私が生きてみると
私の思考と私の感情と私の意識を
私は完全に制御することができません。
私は完全な支配者になることがないということです。
私が生きてみると
內面で絶えず上がってくる否定性と
內面で上がってくるの肯定的な意識は
列車の線路のように向き合って
美しい間隔を維持し
同行していることを知りました。
私が生きてみると
靈魂の物質体験を通して
靈魂は進化します。
靈魂の進化のために
人間の內面にエゴの否定性と
人間の內面に魂意識の否定性は
天が人間の內面に設置した
意図された矛盾であることを知っていました。
私が住んでみると
よく走る車ほど
性能のいいブレーキが必ずなければならないということです。
ブレーキが気に入りませんか。
それなら速度を落として
安全運行でお願いします
-2019年1月14日
-ウデカ
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